本因妙・本果妙・本国土妙の三妙とは

本因妙・本果妙・本国土妙の三妙とは  平成30年3月3日 廣 田 頼 道

 「法華玄義巻七上」に、法華経壽量品第十六の経中の
我常在此 娑婆世界 説法教化
を【本国土妙】の依文とし、

 如是我成仏已来 甚大久遠
を【本果妙】の依文とし、

我本行菩薩道 所成壽命
を【本因妙】の依文としている。
経文は、この①【本国土妙】②【本果妙】➂【本因妙】の順序であります。
この順序は実に釈尊を中心にした在世娑婆世界をベースにして、修行の結果妙法蓮華経の法を悟り、仏と成った在世から、妙法蓮華経の法を中心にし上行菩薩へ結要付嘱し、滅後への移行を至極自然に表した順序だと感じます。
 この【本因妙】が《題目》】で【本果妙】が《本尊》】で、【本国土妙】が《戒壇》に配されるのであります。
 日蓮正宗では、何故か昔から、この三妙を【本因妙】【本果妙】【本国土妙】の順番で読みます。
この三妙は、何故か昔から、三大秘法は、この三妙の順序でなく、
 本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目
との順序で発言します。中には、
 本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇、と発言する人もいます。
どれが正解で、この順序に特別意味が有るという事は聞いた事はありませんから、幼い時に聞いた刷り込みと、言い易い語感で代々、そのようになって来たのだと思います。しかし、法門の上から言えば、
【本因妙】の法を題目をもって表し、【本果妙】を本尊に顕し、【本国土妙】の戒壇に安置する。
が、当然の正しい順序という事になります。それは何故かと言えば、
①に久遠元初・本因妙・一念三千の法を表す本因妙の題目が有り。釈尊が過去世、凡夫菩薩として修行して、成した所の壽命は、今猶尽きず久遠で、五百塵点劫よりも又々倍しています。との、妙法蓮華経の法は釈尊が創ったものではなく、悟って仏に成ったのであり、その妙法蓮華経の法は、久遠元初・本因妙・一念三千の法である事を明確に示されているのであります。
②に凡夫菩薩として悟って、本果の仏と成った、このように私が仏に成ってよりいらい、甚だ大いに久遠であり、その壽命は量る事が出来ない。と示され、生老病死の生涯を持つ応身の肉体釈尊の存在を通して示しています。
 法を一切衆生に説き示す為に、顕わされた、成住壊空の道理の上に存在する紙や木の本尊に配されるのであります。
➂に本国土は白法穏没、闘諍堅固の末法で、釈尊が三千年の昔に、生存していた事実も、説かれた法の道理も信じられない、釈尊の実在と、教えと、インドから、かけ離れた国に生きている、御し難い荒凡夫が生活する娑婆国土であります。釈尊が法華経壽量品に示される、我常にこの娑婆世界に在って、説法教化す。と示された娑婆世界と同じ娑婆世界であっても、全く違う、釈尊のカリスマ性では最早救う事の出来ない娑婆世界なのであります。だから、日蓮大聖人は釈尊では無く、他の諸仏でも無く、全ての仏が悟った妙法蓮華経の法を末法荒凡夫に直接に説き示さなければ、一切衆生成仏は無いという事を説かれたのであります。その娑婆世界に【本因妙】の題目を顕わした【本果妙】の本尊を、末法荒凡夫の一人一人の心に建立(信心修行)させていく事を【戒壇】というのであります。特定の場所、特定の人間でなく、一人一人、山谷曠野(如来神力品第二十一開結581p)いかなる場所においても、十界互具一人一人の生命、心に、法華経の行者として生きる志の信行によってのみ、本尊は建立され、そこを戒壇として安置されるものなのであります。事実、戒壇本尊と称するにもかかわらず、戒壇とは授戒の場の意味であるのに、戒壇本尊安置の堂では御授戒はしていないのであります。 
 
大石寺では戒壇本尊以外の本尊は戒壇本尊の影、写しだ、戒壇本尊が日蓮大聖人の全てだ。戒壇本尊が無くなったら日蓮大聖人の法が無くなるんだと、森羅万象全ての存在が成住壊空の道理の下に崩壊しても、戒壇本尊だけは無くならないんだ。無くならないと信じるのが信心だと問答無用、遮二無二、頑迷に突き進み、その支離滅裂、荒唐無稽を信じるのが日蓮正宗の信仰であり、それを広宣流布する事が日蓮大聖人の目標であり、一切衆生成仏であると言い張るのであります。この主張からすると、戒壇本尊の本尊の中だけが、久遠元初・本因妙・一念三千の法だという事になります。久遠元初・本因妙・一念三千の法は板に彫り付けて漆を塗り、金文字にしたものだという事になります。そしてこれが無くなったら、日蓮大聖人の一切衆生成仏の法は無くなるという事を教義だと言っているのであります。
 少し角度を変えて御話します。 日蓮正宗が昔から金科玉条として来た「国立戒壇」の考え方を否定し、正本堂は建立されました。日蓮大聖人の時代の武士による軍主国家に対しての国家諫暁と、現代の18歳以上の男女国民が平等に投票権を持つ国家に於ける国家諫暁とはどうあるべきかを、大政奉還され明治時代を迎え、法論、折伏の禁止も解けたにもかかわらず、大石寺は、日蓮大聖人の時代背景のまま、何の解釈改善もせずに、正本堂建立の時を迎え矛盾に気付いたのであります。どれだけ日蓮大聖人や歴代貫主が、国主が法華経の信仰をすれば、国民全体が法華経の信仰者になると主張しても、それは専制君主制の下での事で、国の体系が全く変わってしまっているのですから会通出来ない状況をほったらかしにしていたのであります。
 信仰は国家や一族や先祖代々の家族団体、所属団体でするものでは無く、一人一人の志に於いて成り立つものなのであり、団体で成仏するのでなく、一人一人で成仏するものなのであります。「国立戒壇」がいかに陳腐で時代の矛盾を生じているものかと考え軌道修正し放棄したことは尊い事と思います。しかし、それが社会から政教一致を糾弾された創価学会からの辻褄合わせの苦しまぎれの圧力や、創価学会の御供養が大半を占める為に、この正本堂を国立戒壇、事の戒壇、広宣流布の完成という事にしようと最大限の自画自賛の功績に仕立てようとの池田大作さんの思惑と、妙信講の時代錯誤の守株では、己心の仏界の信仰では無く、国家信仰へ逆行してしまうのであります。
大石寺は「国立戒壇」は放棄したけれども、未だに中味は「国立戒壇」を主張していた時代の「戒壇絶対」の理論を心底に本音として孕み引きずっているのであります。戒壇とは、いついかなる、時、場所、山谷曠野を選ばず、【我常在此娑婆世界】に住する一人一人の己心に建立されるものなのであります。この点が、どんな時代、政治形態になろうとも揺らぐことの無い基本となる内容条件に示しているのであります。つまり、明明白白、決して大石寺という特定の場所条件を言っているのではないのであります。にもかかわらず、戒壇本尊ましますところだから寂光土だ、聖地だ、果てには、霊山浄土だという始末であります。それでは何故日興上人の墓が北山本門寺に有るのでしょう。日目上人の墓が下之坊にあるのでしょう。貫主が本仏日蓮大聖人であると言っている大石寺に日蓮大聖人、日興上人、日目上人の基礎をなす三師の墓が無いというのは、どういうことなのでしょうか。それは、日蓮正宗は聖人の御義を立てる信仰が最も大切で、墓は思い入れのある所であれば山谷曠野何処でも良いからであります。
 日興上人も「原殿御返事」に、
 いづくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候はん事こそ詮にて候へ。
と示され、当然場所を第一に考えて上野の地を選んだのではないのであります。謗法厳戒の信仰を貫く上で、権力、財力や人間関係の情に流されないで信行学に専心出来る所であれば、「いづくにても」とは、「どこであれ」ということなのであります。
 大石寺の主張する論法は、日蓮大聖人の法ではなく、自分達の権威付けを盤石にしようと血道を上げている証なのであります。
【本因妙】題目→【本果妙】本尊→【本国土妙】戒壇
戒壇は、題目を本尊にした。その本尊を安置する場所なのであります。その場所とされている所だから正しい。戒壇本尊を貫主が守護申し上げているから貫主も正しいという事である。日顕上人を批判する者がいるが、長生きしている事こそが正しい証拠であり、批判する者こそ間違って証拠である。と、言われた事が有るが、もうこうなると信仰では無く、アイドルを追っかけて集まるファンクラブの様な好き嫌いの感情論でしかない。感情と成仏を一緒に混同する事は依法不依人ではなく、完全な依人不依法で、心の外に法を求める麤法である事を自覚すべきであります。空虚な権威主義では支離滅裂、荒唐無稽な裸の王様であって成仏は出来ないのであります。
 創価学会の池田大作さんが、その事を身を持って表してくれているのであります。