奥の住職

 教師になる前の所化時分に、短期間、その御寺へ手伝いに行き、一ヶ月ばかり御世話になった。
 そこの御寺は、住職が大坊在勤後、新寺建立で初赴任し、結婚し子供が産まれ、家庭をなし二十数年経っている内容の御寺だった。
 一緒に生活をしてみると、住職はとても気さくで、穏やかで、人間味のある人だった。その為、御信者(そこには創価学会員しかいない)さんも親しみ、何や彼やと親しみ、信心以外の世間話をしに台所に出入りをしていた。世間話には絶妙に対応しているのに、僧侶としては、法門の話も勉強している姿勢も無く、御講の説法も、御書の語句の表面的な通解で終わってしまうような、世間話を小話の様に幾つも幾つも繋ぎ合わせて、無責任な評論家の様な話をダラダラと続けるといった塩梅で、御寺へ来なくても横町の御隠居の茶飲み話で事足りる内容であり、信仰の情熱を感じる事が出来なかった。その上、説法が終わると、やれやれ、今月もこれで終わった。と、大仕事が終わったように溜息交じりに大きな独り言をいうのであります。
 片や奥さんは、創価学会員の出身の為か、住職よりも教学も教授だったし、在家として信者さんの事を知っているという感覚で住職を下に見るように自信を持ち、その上、住職がそういう逃げ腰の性格の為、積極的に御信者さんの中へ入って行き、信心の指導迄してしまうのであります。御信者さんも住職に聞いても埒が明かないのか、奥の住職の奥さんに信心の指導をして貰わなければ、と言っている状態なのであります。その上、住職自身も、それの方が楽で便利な様に考えている様に立ち回っている雰囲気なのであります。
 日常の食事をしながら、奥さんが、住職に、今度のお詣りの時には信者さんに、こういう話とこういう話をしなさいよ、原稿にして書き出して置くからと、話しているのであります。しかし、その内容は、御寺を守り、大事にしなければいけない。(御供養の大切さ)住職は猊下の名代で、ここに赴任して来ているのだから、創価学会の指導と同様に大切にしなければいけないとの話を重ね重ね言うのであります。
奥の住職と称する奥さんが、御信者さんに指導をしているのを耳に挟んでも、御題目を一生懸命唱えれば必ず願いが叶うから。御寺の仕事を手伝うと功徳が有る。特に御霊供膳を作り御給仕の功徳は絶大。丑寅勤行をすれば、利益は絶大といった類の演説話が延々と続くのであります。奥の住職でなく、こりゃあ、表の住職だなぁっと感じました。
 住職がどれ程、引っ込み思案で、勉強嫌いであろうが、話下手であろうが、出家して修行して来たのは住職であって、奥の住職と自他共に称する奥さんでは無いのであります。
 どんな坊さんでも一時間の説法をする為には、最低でも、三時間四時間以上の勉強、下調べ、確認をしなければ出来ません。説法が苦手なら他人以上に時間を掛けて勉強し、下調べ、確認をし、完璧な原稿を作って、読み上げても良い、自分が勉強し書いた原稿なのだから、何も恥ずかしがることはないのであります。
 御寺を守るという経営、運営の下心を持った話や、感情に左右された話や、依怙贔屓の感情を忍び込ませた話や、御寺、住職、寺族という権威主義を押し付けるような、朝令暮改でも責任を取らないで逃げる事が出来るような、奥の住職が出来るような話を法話、説法とは言わないのであります。
 御寺を守る根本は法を守る事であります。御寺を守らなければ法が守れない等と言う感覚は、「依人不依法」を隠蔽するために、「依法不依人」と声高に叫んで誤魔化しているだけなのであります。
獅子身中の虫である奥の住職がいる事に気付いているのなら、跋扈を許さず、まず退治し、出てくる余地が無い程、自分が住職としての働きをしなければいけません。法事や御葬式の為に住職がいるのでなく、法を説く為に住職がいるのであります。法を説かない住職は坊さんでも住職でも無いのであります。
くれぐれも奥の住職に操られる、奥の住職の代弁者たる操り人形の表の住職にならぬよう、何故出家して何を修行して来たのか妄失しないように しなければいけないのであります。
表の住職が奥の住職の意見を窺わなければ、判断や発言が出来ない。一度決めた事が奥の住職の意向で朝令暮改となったり、奥の住職の 好き嫌いで信者さんの依怙贔屓が当然の様に横行するようならば、それは表の住職は奥の住職の操り人形という事になっているだけで、日蓮大聖人の法をを教化流布する寺院ではないと言えるのであります。そこには日蓮大聖人の法を利用し、自分達の名誉欲、名聞名利、私利私欲の為の寺院経営という現世利益の 政略しかないのであります。
 御信徒の人々も、参詣する所属の寺院が、奥の住職の顔色を窺はなければ、気持ちよく参詣出来ないという雰囲気であれば、それは寺院の正常な姿ではない事であると認識して、住職の努力精進を促し、奥の住職は奥にいて、住職抜きの奥さんとして、あくまでも縁の下の力持ちとして陰乍ら支えるという正常な状態にする憎まれても意見陳情し改善努力に尽力して貰いたい。