法→仏→僧の順序で立てられる三寶 廣 田 賴 道
ブッポウソウという鳥は美しい羽色をした鳥ですが、ゲゲゲーゲゲゲと、美しくない声で鳴きます。ブッポウソウと鳴くのは実はコノハズクで、コノハズクは夜行性ですので、暗くなってから、ブッポウソウと鳴くのですが、ブッポウソウと言われれば、ブッポウソウかな、やっぱりブッポウソウと鳴いているかなという感じに聞こえます。日本人は、こういう不正確な勘違いのまま、昔からそういう事にしているので、世間一般がそう言っているので、そのまま、そういう事にしておきましょうという事で誤解されている事が沢山あります。例えば梅にウグイス、鶯色は、実はメジロで、本当のウグイスは、ウグイス色ではありません。メジロは、ホーホケキョとは鳴きません。本当に不思議な国だなあと思いつつ、私はこの国に生きています。
ブッポウソウと言われれば、ブッポウソウのブッポウソウは、やはり根底に日本が長い歴史を踏まえて来た仏教国である事に起因しているのではないかなと思います。つまり、仏教の根幹を成す、仏法僧の三寶を意識し、ブッポウソウと聞こえたい人々が沢山いたのでこうなってしまったという事ではないかと感じます。話は脱線しますが、八百屋さんスーパーマーケットでは、値段札に、ホウレンソウと書いてありますが、中学生の時、小説を読んでいて、法蓮草という文字が出て来て、驚いて感動した事があります。まだまだ沢山、仏教を起因とした言葉がありますが、ここでは言語学の話では無いので控えますが、ウグイスの、法法華経といい、何でも拝んで、何でも信じて、何にも信じていない、日本人の不思議な感覚の底流に、理屈抜きで長い長い仏教文化が潜在している事を、認識しないわけにはいかないと、つくづく思うのであります。
これも殆どの人が誤認識されているのですが、【仏教】とは、仏が説いた教えだから、読んで字の如く【仏教】だと解釈されているのであります。もっと言うと、【仏法】の法は仏が考案し創造したものだと考えられている人達が沢山いるのであります。この認識は皮相的で大変な間違いであります。本来【仏教】とは、仏に成る教えを仏は自ら追求し、その法を悟り仏に成った。その自らの成仏の体験を通して、仏教経典となる、84000もの説法をし、それを弟子達が口伝し、後年文字化され、現代に伝えられたのであります。つまり、【仏教】とは、仏に成る教えという意味なのであります。
【仏法】とは、仏が考案し創造した法でなく、宇宙が出来る137億年前、地球が火の玉として生まれた46億年前、そして6億年経って、今から40億年以上前、まだ四つ足歩行の人類と言えない様な動物がこの世に存在する以前、仏が現われる以前から、本然として全ての生命に貫かれた、根源となる法(道理)が、例えば引力や空気や水の様に存在し、人間として、菩薩として修行し、その法を悟り、仏に成った。つまり、仏以前から存在している、仏となる法、仏が悟った法を【仏法】というのであります。
どちらが重く軽いかでは無く、【仏教】は、方便の教えも含め教え仏教経典全般を表現していますが、【仏法】は、方便を廃し肝心要の究極の法を指し示しているのであります。
という事は、一般世間で言われる、【仏→法→僧】は、【仏】が説いた【法】を次世代の【僧】に伝える。釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、未来に仏に成るであろう観世音菩薩、地蔵菩薩等々こそが説法して法を創り出したかのように、仏寶・法寶・僧寶の三寶が仏教の三本柱の屋台骨として大切ですよ。仏が法を創り説き、次世代の僧に伝えたのですよ。【仏→法→僧】の順番ですよ。仏教の始まりは仏ですよ。という完全な誤った解釈を表現しているのであります。この考え方が、仏教伝来以来の日本全体の考え方になっているのであります。
しかし、本当の仏教の成り立ちは、【法→仏→僧】の、一切衆生平等成仏の一念三千の法を元初の源としての順序なのであります。法は仏が考案し創造したものでは無く、仏が人間菩薩として信心修行する以前から本然として全ての生命の源として全ての生命に貫かれ遍満存在していたのであります。
つまり、【仏→法→僧】は、一般世間の認識となっている一般仏教、釈迦仏教の論法であり、【法→仏→僧】は、日蓮大聖人の法門の論理構成という事になります。
【仏→法→僧】は、仏(人物)を中心にして展開し、仏様に救って下さい、助けて下さい、守って下さい、成仏させて下さいと、ひたすらおねだりする様におすがりする信仰であります。
【法→仏→僧】は、法(一念三千一切衆生平等成仏)を中心にして展開し、自分の生命にも、全ての生命にも仏の生命が平等に元来具わって、全ての生命が成仏する資格を持っているのだから、その事に目覚め南無妙法蓮華経の法を信じ行じ生きて行く事によって必ず成仏出来る。という信仰であります。言うまでも無く【法→仏→僧】は唯一無二、日蓮大聖人の法にしか説かれていません。つまり、他の宗教は全部【仏→法→僧】もしくは【神→衆生(僕)】なのであります。
【法】を、菩薩(人間)が信心修行の末、悟り、【仏】成仏し、次世代の【僧】弟子、信徒に託し伝承する。というのが、日蓮仏法の論理なのであります。
何百何千年、【仏法僧】と言われて来た歴史、慣習、思い込みを直す事は不可能な事だと思います。しかし、日蓮大聖人の法を信仰する私達は、【法→仏→僧】の法門の論理構成によって、一念三千一切衆生平等成仏の法が成立している事を心に刻んで日々の信仰に精進しなければいけないと思います。