何年か前に、御信者さんから数珠の形状と意味について質問された。その質問は、「数取りの房」に関する質問だったので、知っている範囲の知識で答えることが出来た。しかし、その時改めて、他の部位に何の意義が込められ、その形状になっているのかを、出家して60年が経過しているのにもかかわらず知らない事に愕然とした。少なくとも仏教3000年の歴史の中で、数珠制作の職人の方々も、時代と共に、宇宙飛行士着用の服縫製の糸を使い切れにくくするとか、通しの糸の中に化学繊維を混入させ、⑯の制作最後の締め括りを加熱し溶かせ、ほどけたり、緩んだりしない様にとか進化創意工夫努力をされている。時代と共に携帯に便利な様に108珠を本連、半分の54珠を半連、27珠を四半連等々に制作して、それぞれに苦しまぎれの理由を付けている各宗各派がありますが、数珠の基本形(108玉)は、タイムカプセルの様に頑なに守られ継承され伝わって来ているのであります。その淘汰された形状に込められた意味、意義、メッセージを知ることも無く、昔からこういう形ですから、意味は知りませんが、何年も手に掛けて使っていますで良いのだろうか?知ることが出来れば、少なくとも信心修行の深化になり、改めて各宗各派の捉え方と、日興門流富士派の捉え方の違いを深く知ることが出来るはずだと考え、この文を書き始めました。
数珠の起源は、釈迦牟尼仏による仏教教団成立以前の古代インドのバラモン教(数珠に似た形状でジャパ・マーラと称し、祈りの言葉を口にする花輪という意味)の時代から用いられていたと言われています。という事は、形状の変化は有り得ますが、仏教は、それを踏襲して用いたという事になります。バラモン教においても一つ一つの玉を爪繰り祈りの回数を数える為に用いられていました。
キリスト教のロザリオも、イスラム教のスブハも、仏教の数珠に近い形状で、カトリックでは「主の祈り」と「聖母マリアへの祈り」の折りに、祈りのカウントをする為に用います。ロザリオはラテン語で、バラの冠の意味で頭に戴く花輪に通じ、バラモン教のジャパ・マーラの意味と共通します。しかし、カトリック教会以外のキリスト教会では、ロザリオは用いられません。
仏教3000年の歴史、キリスト教2000年の歴史から、仏教の数珠が、西洋に伝播し、ロザリオになったのではないかという説があります。祈りの反復を数える上で、人間の欲求、知恵として自然発生的に同類形の物が考案されたとしても、何の不思議も無いと考えます。
宗要1巻377p「袈裟数珠の事」に曰く
当山念珠の御相伝三通之れ有り、目師御筆、道師御目録之れ有り、然る処に十八代日精上人の御代之れを失うと見へたり日舜上人(要法寺より19世)精師在府の砌り仰せ越され候へば長持ちの中に之れ有るべき由仰せ越し候へども之れ無しと見へたり、たとへ之れ有るも日典上人(20世)御代に大坊焼失の砌焼け失せたる者か、故に今御目録十七条のみ之れ有り御相伝悉皆失ふ故、日忍上人(要法寺より21世)日俊上人(要法寺より22世)已来数珠相伝に当山の相伝之れを失ふ故に要法寺日大(要法寺6世)叡山相伝之れ有り、喜ばしい哉、悲しい哉、大衆方正法を守ると云へども近代上人方は皆正法を失ひ天台真言の邪義に附する故に今日因之を改め近代上人方の附邪の法を疑ふのみ、一には日主上人(13世日院没時22歳、要法寺より15世日昌を迎える前の大石寺最後の14世)の立行関東奥方に残り伝はる故、二には当山古老僧皆之れを伝ふる故、三には当山日目上人の相伝悉く房州保田に有る故、四には要法寺二代日大叡山相伝当山に伝ふ、故に知んぬ近代上人方、要法寺日大の邪伝に附するのみ。
数珠は日興門流富士派における独自の【三衣】(白五条の袈裟・絵柄綾織りの紋衣では無い、ただ薄墨色のみの衣・数珠。
(各宗各派の三衣は、袈裟の三種の大衣の「僧伽梨」・七条の「鬱多羅僧」・五条の「安陀会」というのが定番であります。)
ところが、日興門流富士派の三衣は、袈裟と衣、これは、まだ身に着用する法衣ですから「衣」と理解出来ますが、数珠は手に掛ける仏具で「衣」とは到底発想できません。しかし敢えてこの数珠を【三衣】の一つに挙げている意味は、宗要1巻390p「対俗三衣談」〇有為の当躰に無畏の三徳の数珠を持ちぬれば煩悩を覆い除く鎧に非ずや、
〇今富石門流の袈裟と衣と数珠との三衣は三毒を除き法身、般若、解脱となす、爾れば三 毒の醜きを隠す徳あり豈衣にあらずや、
〇當流の袈裟、衣、数珠は前談の如く皆以て折伏の法衣なれば他に簡異して袈裟、衣は薄墨の長絹重衣、数珠は房長なり、爾前迹門の輩、此の三衣を見て直に日蓮大聖人の弟子檀那と知って怖畏を成す豈解脱幢相の衣に非ずや、
この様に示されていますが、私は、本尊に向かい手に掛ける数珠が112の玉で十界互具の煩悩そのままの生命を象徴しているという事は、とても、身に一番近く常用する仏具としては矛盾した存在と感じます。何故煩悩を覆い隠す必要有るのか?何故あるがままの十界互具の三毒が醜いのか?何故名字刹那無作の荒凡夫に鎧が必要なのか?除夜の鐘の様に鐘を撞いたら108の煩悩が一つずつ消えていくというものでもないのであります。自他共に南無妙法蓮華経の信心の志の衣で包み導く事こそ衣の意味ではないかと感じます。十界互具の煩悩表現している母玉父玉に囲まれた112の玉を南無妙法蓮華経の法を信ずる志(左右の掌をあわせて包み込み)で、南無妙法蓮華経の本尊に向かわしめ、個人の願い事成就目的で無く、自他に具わる南無妙法蓮華経の仏性に目覚め作仏する一切衆生平等成仏の大願に心を向ける為の勤行、唱題。これこそが三衣の本義のはずであります。それ故【衣】と称するのであります。
同書(宗要1巻391p)下根下機の愚悪未断は一向に信心肝要に此の三衣破惑証真の大法衣と心得べきなり、当流の深意量り難し但愚案の一判是くの如し、之れを以て正とすべからず後人は明師に値ひ奉り正義を信ずべしと而か云ふ。
の結びの言葉は、日興門流富士派の信心為本の主旨によって添えたものと推察します。
この様に、全ての相承口伝書は、日典上人(20世)の時代に焼失し、その内容を、要法寺に求めても、要法寺は政治権力と社会に受け入れられる為に、教義が完全に釈迦如来本仏へ変質していた時代でありますので、そこに化儀化法を求める事は不可能であります。そして、房州保田に求めても、令和の今日に至るまで、日典上人以前の原本の写本は無い、無いという事は、伝わっていなかったという現実であります。宗要1巻393p「対俗三衣談」今云はく珠数を指に掛くる事、父珠の方を以て右の手の人指しゆびに掛け母珠の方を以て左の手の中指に掛く、是れ側ち右の人さし指は風大に当り左の中指は火大に当たるなり、菩提の煩悩の火を消して法性の智火を吹き起す意なり已上上房州日我の儀なり、後人添加して云はく火大は上行。(中略)予拝し奉るに宥師(25世)、寬師(26世)、養師(27世)、詳師(28世)東師(29世)何れも中指なり近代教師も中指なり。
この様に、数珠を右手は人指し指に掛け、左手は中指に掛けるという化儀をしていた時代があったという事なのであります。
この様に、房州保田に伝わる物とも混乱し、「当山日目上人の相伝悉く房州保田に有る故」の言葉も虚しく何が正常なのか分からない状態になっているのであります。
この様になっている以上は、末法の本仏は日蓮大聖人であるという事を根源とし、十界互具、一切衆生平等成仏の日蓮大聖人の教えを踏まえて、三衣がどういう意味をなすのか、取り分けここでは数珠がどういう意味を表現しているのか、社会に伝わる法華宗全般の解釈と見比べながら、分かる限り整理し、何か分からないけど、昔からこの形を手に掛けて来たからとか、断片の資料で当てずっぽうの事を言うので無く、どこまでも【信心肝要】を旨として三衣の一角に定まる数珠の存在を、混乱の情報の中で推量も含めて、今明確に整理、定義しておかなければいけないと思うのであります。
その為に、この文章を起こしました。
①母親玉(悲心)
②父親玉(慈心)
全ての生命は父と母のもとに産まれる。取り分け母の胎内で育まれ生れ出て人生が始まる。生命の始まり。
日蓮正宗では用いませんが、各宗の片手(略式)念珠の場合、親玉は1つだけになりますが、その1つは母玉とされています。これも全ての生命は母から始まる事の意味と解します。
③上行菩薩(身延日蓮宗系では善哉童子)(浄土真宗系百八念珠では大持国天王《東》)
(「校量数珠功徳経圖」によれば善密童子)
④浄行菩薩(身延日蓮宗系では薬上菩薩)(浄土真宗系百八念珠では大毘沙門天王《北》)
(「校量数珠功徳経圖」によれば善財童子)
⑤無辺行菩薩(身延日蓮宗系では南水牧星)(浄土真宗系百八念珠では大広目天王《西》)
(「校量数珠功徳経圖」によれば不動明王)
⑥安立行菩薩(身延日蓮宗系では善現天)(浄土真宗系百八念珠では大増長天王《南》)
(「校量数珠功徳経圖」によれば愛染明王)
父玉を上、母玉を下と配置して、112の玉に囲まれた空間を【南無妙法蓮華経】とする。そうすると③④⑤⑥の配置は、本尊の左尊右卑と衆生の右尊左卑の配置と合わせ鏡の様に同じになり、十界互具の112玉の末法萬年一切衆生に、法華経を伝える為、結要附属した四菩薩が交わり溶け込み存在している事を表示しているのであります。あえて他の玉より目立つ大きな玉で無く、分かりにくい小さな玉で、紛れ込み溶け込む様にしてあるのでしょうか。四菩薩の4つを入れて108としないで、108と別に4つを入れて112としている事は、四菩薩は、十界互具の108と別格の存在として扱っている事が良く分かります。
色々な文献を読むのですが、何故8個目と23個目(間隔が7個14個になっている)に四菩薩の小玉が有るのかが分かりません。
浄土宗系の百八念珠における四天は、数取りの房が付いていないだけで法華宗の数珠と同型で、左右8個目23個目の4つの小玉も同じですが、これを四天としていますが、例えば三つ房から左右8個目二つ房から左右8個目という風に、均等正対称ならば納得出来るけれども、この四天の位置解釈は通解しにくい。
⑦維摩居士
宗学要宗1巻392p「対俗三衣談」日芳には、「心一境の法性の珠」とあるが、法華宗全般は、維摩居士とする。
「心一境」とは、心を南無妙法蓮華経に集中して観念する時の対境という意味で、本尊という意味になってしまう。「心一境」と称する論拠と、この位置に有る意味理由が不明であります。この次の⑧の10球は釈尊の十大弟子を表現し、輪の空間は釈迦如来とされている事から、釈迦如来、十大弟子に一番近い位置に、釈迦如来に、十大弟子よりも法門理解が卓越していた維摩居士が、十大弟子全員が灰身滅智に拘泥し法華経の十界互具の成仏を理解出来ない愚かさを維摩経の中で軽蔑する維摩居士《【開目抄】(全205p)参考》の玉とする方が法華経の行者の数珠としては、自然でふさわしいと思われる。
念仏宗においては、親玉を阿弥陀如来、維摩居士玉を観音菩薩とし、又は親玉を釈迦如来、維摩居士玉を弥勒菩薩に配する考え方があります。
⑧十大弟子(10珠)と、囲まれた空間が釈迦如来
⑨多宝如来は弟子がいないので、紐だけに囲まれた空間が多宝如来
どちらも、特定な固定化された玉で表現されていないという事は、釈迦如来も多宝如来もその本質は、法(妙法蓮華経)であるとの表現と解せられる。
⑩数取りの房。母玉父玉を除く内径の小玉は四菩薩を含めて112ですが、母玉側に数取りの房が付いているという事は、日本では古来より右手の方を清いとし、左手を穢れと考えていました。これはインドの右手は食事に用い、左は不浄に用いるという考え方が伝播して成り立って来たのだと推考する。その為、唱題の折に、右手親指と人差し指で御題目を一遍唱える毎に1玉爪繰り父玉の手前の玉迄行きターン。宗要1巻(387p)「対俗三衣談」「母玉を越ゆべからず過が諸罪に越ゆ数珠は仏の如くせよ」(親を越えてはいけないの誡めから親玉は数えない)この様にある反面宗要1巻377p「袈裟数珠の事」には、当山に二種有り、一には母玉を越えず一片五十四珠を上に流し下に流す即上求菩提、下化衆生の意なり、此は要法寺日大、叡山より相伝の義なり当山日昌上人已来之れを相伝すと見えたり、今専ら之を用ゆ但し日因(31世)は之れを用ひず、高雄口決に因る則は過失有り教相判の下具さに百八並に母珠を爪繰るべし即大小経論の如く具さに百八珠並に三母珠を満てて以って一遍と為すなり、此れは祖師已来御相伝なり当山日主上人(14世)子細有りて関東に下向し下野小金井蓮行寺にして入寂す、故に関東五箇寺並に奥州諸末寺此れより本山の式法を守るのみ、然るに日昌上人已来、山の化儀少し要法寺に准する有り則ち数珠相伝等是れなり、安房国保田妙本寺古来の法を守る本と当山蓮蔵坊日目上人遺跡より引き移りて法儀を立つる故なり、然れば則ち当山二種の中には大衆の伝流尤も好まし、若し要法寺日大、叡山相伝を守らば即是れ天台真言流儀なり、況んや百八珠一連成るべきなり最勝に非る故い大小の経論に背く、亦五十二位及び加行資糧を表するは只是れ別教の法門にして円頓の妙義に非るをや、況んや母珠、数を取らざるは則念珠経所製の莫過法大罪なり、皆百八幷に母珠に由って功徳を積む故に、況んや亦法宝の名を唱えへ仏僧の名を唱へざる故に三宝の功徳を満せず何ぞ三身三躰三宝の大果を成せんや、故に二母の名を唱へ則別して高声に南無妙法蓮華経と唱へ手を以て頂いて之れを捧げ信心深く致すべし。
この様に、日因(31世)は、母玉も父玉も越えると示しているのであります。しかし、現在の日興門流富士派では越えない事が常識とされているのであります。
つまり混乱を来しているのであります。
母玉の手前まで行き、次に左手親指と人差し指て爪繰って、112だけれども100と換算して、数取りの房の玉を算盤の玉の様に1つ上げる。5玉あげれば500遍、10玉あげれば1000遍唱えた事になります。古い時代は、家に時計が無かった為、時刻を知る事や経過時間を把握する事が容易に出来なかった為、御題目の回数で時間経過を計る目安にした。唱題行を旨とする法華宗全般によって必要とされ考案され付けられたと考えられる。その為この数取りの房は他の房と違い編み込みでは無く、多宝如来を表わす組紐に一重巻かれただけでスライドする様に簡単に取り付けられている。そして、古い時代には、数珠は貴重で高価だった為に、亡くなった人の手に掛けて埋葬、火葬するという事も出来ない家庭が多かった為、亡くなった人の成仏を願い、亡くなった人が生前唱えていた御題目、家族が唱えた御題目を供える意味から、この数取りの房の根を切り取り、亡くなった人の手に握らせるという事をして、遺品として遺された数珠を仏具屋(数珠屋)持って行って又数取りの房だけを付けて貰い、遺族がその数珠を使い続けるという事をしていた時代があった。
壺玉が「功徳を納むる壺なり」「功徳を壺に入れ、漏れこぼれない様に」と言うならば、この数取りの房にこそ壺玉を付けなければ理に合わないと考える。
江戸時代に抹香を微粉末状態にし糊を混ぜ棒状にする線香が考案制作されてからは、その燃焼状態で経過時間をおおざっぱに計ることが出来る様になりました。そして、近年では小学生でも腕時計を持ち、家や町の何処かしこでも時間を確認出来る世の中になっている為、唱題の時に玉を爪繰る人の姿を見ることも無くなり、この数取りの房は世紀の遺物状態になっています。
古い時代では、左利きは社会で疎んぜられる存在でした。産まれた子供が左利きだと、布をかぶせて、右利きに矯正するような社会でした。ですから、右側に数取りの房が付けられ、先ず尊いとされる右側から左側に向かい御題目を唱えながら一玉づつ爪繰り父玉手前で折り返し、左手で爪繰り母玉に戻り、数取りの房の玉を一つ上げるという形態が、自然な動線だと考えます。身延日蓮宗系の掛け方では、数取りの房が左になり、左手から爪繰りが始まるという事で、不自然な感覚がします。
父玉を上、母玉を下として、112の中の空間を南無妙法蓮華経と解釈するのが法華宗全般の考え方であります。これは、文久元年(1860)発刊の「法華経御御籤霊感韱」の上巻と中巻の始めに記載されている「数珠曼荼羅之図」から読み取れます。しかし、身延日蓮宗系では、この空間に南無妙法蓮華経と日蓮花押、四菩薩、不動明王、愛染明王、有りと示しています。左右8個目と23個目の小玉4つを四菩薩とするのは、日興門流富士派独特の化儀と拝します。
日蓮大聖人は上行菩薩の再誕、常不軽菩薩の後を継ぐ者と名乗られています。という事は、多宝如来も、いついかなる時代、いかなる国であっても、法華経説法の場に駆けつけ法華経が一切衆生平等成仏の唯一無二の法で有る事を身を以て証明することを誓い実行した法華経証明仏でありますので、上行菩薩、常不軽菩薩の系譜に連なる存在であります。という事は、空間が南無妙法蓮華経、多宝如来が日蓮花押に位置する、本尊の相藐に叶うと推察します。
⑪壺玉。一切衆生平等成仏、乃至法界平等利益、悉皆成仏、一天四海皆帰妙法の御題目を自分だけに貯めておくという意味発想は矛盾なので、せめて、信、不信の境界を示していると推察されます。
木製の数珠以外、親玉、四菩薩等に水晶や瑪瑙等の貴石を用いる場合、壺型に加工するのが難しい為、壺型でなく露型とし、「露玉」と呼び、御題目の露溜まりの意味に変えています。
⑫大増長天(南天)
⑬大廣目天(西天)
⑭大毘沙門天(北天)
⑮大持國天(東天)
父玉を上、母玉を下の配置にして見たとき、御本尊の四天の配置と同じになる。
⑯数珠制作の締め括り(数珠は二つ房の方から制作して父玉から左右8個目23個目に四菩薩の小玉を入れ、その間を56、56の普通の玉で連ねていき、三つ房は前もって制作しておき母玉を通し、三つ房と繋げて、母玉の後ろで結び締めて完成となります)
⑰記子の玉(記子とは、仏から授記、記別を受け、このまま信心修行に励めば、未来世、〇〇国に於いて〇〇如来として仏となるという約束の預言を賜った弟子の事で、授記・記別の【記】と、弟子の【子】を合わせて【記子】と言います。)十大弟子の5玉5玉の輪に近い方から、「数珠曼荼羅の圖」には、璃垢地菩薩・倍恵地菩薩・現前地菩薩・不動地菩薩・法雲地菩薩【大持国天王を表す房】
⑱歓喜地菩薩・発光地菩薩・難勝地菩薩・遠行地菩薩・善恵地菩薩【大毘沙門天王を表す房】
⑲水大金輪・火大金輪・風大金輪・木大金輪・空大金輪【大広目天王を表わす房】
⑳金輪菩薩・銕輪菩薩・銅輪菩薩・宝輪菩薩【大増長天王を表わす房】
菩提子誦数(正倉院御物)を写真によって確認すると、親玉(母)1つ、丸房2本双方に記子玉5つづつ、108玉のみで小玉無し。
「校量珠数功徳経図」「百八念珠」には、⑰⑱のみで、⑲⑳の記子玉は無い。
これらの事から、4本に分散されているそれぞれの菩薩や金輪が法華経28品の中で、どういう舞台回しの存在意義を示しているかを調べてみると、特別な授記・記別を受けたターニングポイントを持った存在では無いのであります。記別は、迹門から各々十大弟子が順々に選ばれ授けられ、本門に移るにつれ、「五百弟子授記品第八」の普明如来同名1200人という集団で未来に仏となる記を与て行く、又「授学無学人記品第九」に於いては、宝相如来同名2000人とされ、「常不軽菩薩品第二十」二千億の仏に値いたてまつることを得、皆、日月燈明仏と号づく、こうして一切衆生平等成仏へと話の内容が導かれて行きます。この記子玉の一つ一つが誰を表わしているかではなく、112の十界互具の生命の囲まれた空間に表現された南無妙法蓮華経を中心の光源として、大持国天王(東)大毘沙門天王(北)大広目天王(西)大増長天王(南)無量無辺東西南北の房に均等に分散され、過去、現在、永遠の未来へ光りの拡散の様に、無量無辺一天四海皆帰妙法広宣流布、一切衆生平等成仏の末法法華経の行者として生きていく我々自身の姿を示しているという事なのであります。
釈尊は在世、正法時代、像法時代の本仏であります。末法の本仏は、妙法蓮華経を主体とし導く日蓮大聖人であります。ですから、末法一切衆生は釈尊から授記・記別を受け下種されて成仏するのでなく、全ての生命に元々本然として「悉宥仏性」妙法蓮華経の仏の生命が具わっている、その妙法蓮華経の仏の生命が、妙法蓮華経の縁に触れて、微かでも名字即の心を抱く事によって即身成仏の道が開き出す。という事ですから。此の【記子の玉】は、釈尊からの授記では無く、末法悉宥仏性、一切衆生平等成仏、三千大千世界森羅万象全ての生命という事になります。常不軽菩薩の24文字、「我深く汝等を敬う、敢えて軽慢せず、所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作佛することを得べしと。」は、元々本然とし、正因仏性として具している妙法蓮華経の生命が有るが故に、「我深く汝等を敬う」なのであります。仏に授けられ、種を下され、仏に成仏させて貰うのではないのであります。この事を明確に説き示しています。妙法蓮華経の仏性を具していても、その事に気付いていなければ、持っていないと同じであります。妙法蓮華経の聞法の縁によって、微かに妙法蓮華経の生命がうずく名字即の生命によって、我々凡夫は作佛する事を得る事が出来るのであります。この日蓮大聖人の教えからすれば、【記子の玉】は四方八方森羅万象、末法萬年無限に妙縁を伝える【末法の法華経の行者の玉】であります。
宗要1巻358p~359p「袈裟数珠の事」日因著には、
数珠相伝の事には、天台の五十二位(大乗の菩薩が菩提心を起こしてから、修行を積み成仏するまでの五十二の階位。日蓮大聖人は、名字即の凡夫が妙法蓮華経の法を信ずる事によって即身成仏すると説かれているので、数珠の形態に五十二位に配する事は、天台宗の相伝であって、日興門流富士派の相伝では無い。)
日興門流富士派の数珠に関わる相伝書は、他の相伝書と同様に、日典の時代に全て焼失しているため、他宗各派の様に、数珠の全ての玉に、この玉は誰、この玉は誰と逐一あてがっているような言い伝えはありません。しかし、108玉一一に名前を付けるよりも、内径の玉全てが十界互具の生命を表わすで充分なのであります。
◎日興門流富士派では、御本尊に向かって、右手中指に三房を掛け、右(多宝如来)が上座、左(釈迦如来)が下座。御本尊様も向かって右が上座、左が下座。首題である南無妙法蓮華経を中心に考えれば、何時如何なる時代でも、如何なる国土でも、法華経説法の場に駆けつけ法華経に疑惑を持つ衆生に、法華経こそが一切衆生平等成仏の真実の法である事を証明する事を誓った、証明仏である多宝如来が当然上座になります。
身延日蓮宗系では、釈迦如来を上座と考える為、左右逆掛けであります。
◎白丸房。白は何ものにも染まらない妙法(大白法)を表わす。丸房は一点の欠けりもない法華円教を表わす。紫、紅、茶、緑等々の自分の好み、ファッション、流行や僧侶の階級表現、自己表現の為の仏具ではなく、数珠は、何はともあれ第一に仏法を表現している仏具であります。自己表現は無いのであります。
数珠玉の材質によって功徳が違うと記した文献がありますが、材質の希少価値、高価さと功徳を結びつける愚かさの露呈と考えます。どんな高価な材質であっても、全て信心の志で手に掛けているもので、愚劣な特権意識の醜さでしかありません。
◎教師僧侶の数珠の房は、数取りの房のみが白丸房で、四天の4つの房は、頭房(撚り房)で、垂れは、宗要1巻392p「一天四海へ靡かす意か」と推量形で示していますが、僧侶が後ろで御信者を指示命令して成果が上がらないじゃないかと怒鳴っている岩陰将軍ではなく、先頭に立って一天四海森羅万象に妙法を流布する導師の責任を果たせとの意味であります。
◎日蓮大聖人が出家した清澄寺は天台宗と真言宗の教義が混じり合った御寺でした。日蓮大聖人が独自の数珠を考案したという文献は有りませんので、日蓮大聖人所持の数珠は、天台宗、真言宗の数珠と同型と推察されます。その数珠の部位の意味解釈が各宗各派によって違うのであります。
◎日蓮正宗に於いても、昭和初期迄、新説免許の折りに、真言宗の水晶玉と黒色玉振り分けの【半装束(大法要使用)】数珠用いていた現実事実があります。
◎数珠を右手中指に掛けて、左手手の平を上向きにして左手中指を右手手の平の下に入れ、半回転撚り左右をピッンと張って合掌の姿をとります。右から掛けるべきだ、いや左から掛けるべきだと、まことしやかな理屈をつけて主張する人がいますが、どちらから掛けるべきだという文献は有りません。腕を組むと右が上になる人、左が上になる人がいるように個々の癖と考えれば良いと思います。因みに私は、母玉三つ房の方が上座になりますし、数取りの房は右に有り、私が右利きだという事もあって無意識に右から掛ける様になっています。
ひねって交差させる事も数珠が掌の中で踊りばらけないで納まる様にという先人の知恵工夫だと思います。
◎社会生活をしていると、腕首に腕輪様式の数珠をしている人を見かけます、パワーストーンで出来た数珠だから守護力が強いとか、玉に般若心経が刻んであるから霊験あらたかだとか、一本では安心できないので、3本4本と腕が重いのではないかと心配する程つけている人もいます。数珠は、法を信ずる信仰心があって手に掛けてこそ数珠です。何の信仰心も無いのに手に巻いていて、守護される事等あり得ません。高価だったから効き目が強いということも、あり得ません。信心修行の心が無いのに身に付けているのは、最悪の所行であります。
買い物をして、釣り銭を差出された時、店員さんの手首に数珠ブレスレットがされていると、場違いな極端な違和感を感じます。商品の売買はフラットな言葉遣い、服装が当然だと思います。自分の心の中にある信仰を仕事の場においてアピールするものでは無いと思います。
火葬場や葬儀会場の係員が、数珠を掛けている時があります。その人は信仰的雰囲気を演出する為に会社や個人の思い込みでやっているのかもしれませんが、各宗各派によって全て数珠の形態は違います。全宗教に共通の数珠は有りません。係員もフラットな無宗教黒子に徹して、どの宗教の人の悲しみにも寄り添える様に持たないで戴きたいと思います。
◎【数珠】は別名【念珠】と言います。自分の願い事を一心に念ずる。御釈迦さん、阿弥陀如来様、薬師如来様、観音菩薩様等々、どうか私の願いを叶えて下さい守って下さいと念じながら爪繰る為に【念珠】と考えられいます。キリスト教のロザリオも、そういう用いられ方です。しかし、本当に念じなければいけない、本当に念ずるとは、自他森羅万象一切衆生の全ての生命に具わる妙法蓮華経の仏性に目覚める為に念ずる。自他の差別区別無く一切衆生平等成仏を念ずる【念珠】なのであります。自分個人の願い事の念であってはならないのであります。
◎創価学会では、草創期から、数取りの房を頭、大増長天王房、大廣目天王房を左右の手、大毘沙門天王房、大持国天王房を左右の足、右と左を交差させるのはヘソだと言い、数珠は私達の身体を表現しているんだと、会員にその場しのぎの子ども騙しの指導をしてきました。百万人以上の人間が間違った事でも信じ込んで言い出せば真実の様に垂れ流されて行くのであります。とてもとても、これでは「数珠を仏のごとくせよ」との意識は生まれてきません。その上、勤行唱題中、ずっと、わざとらしい祈祷師の様にジャラジャラジャラ揉み続けて、さも一生懸命熱心にやっている様に錯覚誤解しているのだと思いますが、心が定まらず落ち着きが無く見栄を張った醜態であります。
同様に、草創期から創価学会は勘違いをしたのか、わざとなのか、右手に二つ房、左手に三つ房を掛ける様に創価学会員に指導していました、大石寺宗門は再三直すように申し入れましたが、創価学会は受け入れず、創価学会と大石寺の恣意的違いのように、指導に服従しないぞという証のように、沢山の会員ですので、言っても中々伝わらなくてという言い訳で、正信覚醒運動が起こるまで、改める事をしませんでした。つまり、ずっと身延日蓮宗系と同じ掛け方をしていたのであります。ささやかな事に見えますが創価学会の組織拡大と無謬の評判、体面を貫く為には、法門をもないがしろにする恐ろしい団体だという事が良く分かる一例で有ります。
これと同様に【人間革命】も【宿命転換】も【宿業を断ち切る】等々も、日蓮大聖人の教えに無い事を創作し、さも日蓮大聖人の教えであるかの様に洗脳し、日蓮大聖人の教えを世の中に歪め流布汚染した重罪だと思います。本当に一事が万事、創価学会組織の拡大のみしか考えていない、現世利益の単細胞な事が良く分かります。
◎大石寺に於いて焼失した相伝書の中には、数珠曼荼羅図の様に1玉1玉に名称を付けて表現されていたかもしれませんが、現代では知る事は出来ません。しかし、日蓮大聖人の教えから推察判断すれば、刹那刹那に転変する十界互具の生命に、固定限定した名前を付けても、それが何の意味を成すものかと思います。108全てが十界互具刹那刹那転変の生命を表わしているのであります。
令和7年(2025)3月7日