三大秘法の成り立ちと構成


 日蓮大聖人の一生の中で、どの様に三大秘法が成り立ち構成されて来たのかという事を、要約して述べてみたいと思います。
日蓮大聖人は、承久4年(1222)2月16日安房小湊片海の漁師の長男一子として生まれます。釈尊滅後2170年目、つまり末法時代に入って170年目に当たります。12歳で清澄寺に登り、32歳迄20年間各宗各派の教義と世の中の様相を学ぶ為に、鎌倉、大阪、京都、奈良、高野山、比叡山横川に遊学し、清澄寺へ戻り、一切の経典、各宗各派の教義の中で、一切衆生平等成仏が説き明かされている経典は唯一法華経しかない事を悟られ、【A】建長5年(1253)4月28日法華経の行者として生きる覚悟を定め、早朝、嵩が森の山の頂より、昇る太陽に向かい南無妙法蓮華経の御題目を唱え、清澄寺へ戻り、自分を育んでくれた故郷の人々に対する報恩として、清澄寺の真言宗、天台宗の教義、世の中に流布する念仏の教義では成仏出来ない。法華経こそが唯一、一切衆生平等成仏の法である事を説き伝えます。しかし、この時点の日蓮大聖人の悟りは、学問的理論的段階で、遊学の厳しさは有ったものの法華経の行者として生きる以前で、未だ法華経身読も、直に法を説き示し伝える、弟子も御信者さんの存在も無く、本尊も顕わされていないのであります。建長5年(1253)4月28日を頑迷に【宗旨建立】と言う人達がいますが、この時点に宗旨は有りませんので、法華経の行者として、旅立ちの日、【立教開宗】と呼ばなければいけないはずであります。つまり、この段階で悟られた【法】とは、まだ学問的な【法】という事で【宗旨】では無いのであります。実際大石寺は、昭和20年代迄は、信徒用の過去帳の年間行事欄に建長5年(1253)4月28日を【立教開宗】と印刷していましたが、何の理論的説明も無いまま、現在に至る迄【宗旨建立】にすり替えて来たのであります。完全な曖昧自己矛盾に陥っているのであります。未だ三大秘法が定まっていない状態で【宗旨建立】と何故言うのか、言えるのか、日蓮大聖人の【宗旨】が分かっていないからこそ何も考えないで言えるのでありましょう。
 地頭東条景信は、清澄寺で行われた説法の様子を聞きつけ、地頭の権勢と個人的熱心な念仏信仰から来る怒りによって、日蓮大聖人を殺害しようと探索しますが、師匠道善房始め兄弟子達にかくまわれて、かいくぐり鎌倉へ向かいます。そして、鎌倉に於いて草庵をむすび、鎌倉市中の人々に、故郷の人々に訴えたと同様に、法華経への信仰でなければ、一切衆生平等成仏、世の中の安寧は得られないことを訴え、文応元年(1260)7月16日39歳、国家諌暁書【立正安国論】を、6代執権北条長時は、北条時賴の傀儡政権と見定め、事実上の権力者であった前5代執権北条時賴に差し出します。幕府への公式文書とならなくても、現実社会を一切衆生平等成仏の正法に目覚めさせ世の中を少しでも改めさせなければいけないと考えたのであります。
 この【立正安国論】は、権力者を正面から罵倒否定する内容では無く、世の中に流布する各宗の教義内容を、ほんの少し冷静に立ち止まって考え、法華経の教義と比較し法華経への信仰に目覚めて貰いたいという礼節を持った穏やかな内容であるにもかかわらず、北条時賴は、天下に異議を唱える者と過剰に反応し、弘長元年(1261)5月12日40歳伊豆伊東流罪の刑を科すのであります。天下に逆らえば、どうなるものかを流罪によって思い知れば、やがて飼い犬の様に幕府に阿る僧になるだろうと考えたのであります。当時の各宗各派の多くの僧侶は、権力者の寵愛を受け、幕府の政治アドバイザーになり、世間の尊敬を受けることが立身出世と考えていたのであります。当然日蓮大聖人は、もとよりその様な価値観は持っていないので、弘長3年(1263)2月22日赦免され、鎌倉に帰ってくると、幕府の思惑に反して、伊豆伊東流罪以前にも増して精力的に鎌倉市中の人々に辻説法をし、折伏弘通して行きます。母親が病気である知らせを受け、平癒と建長5年(1253)4月28日の清澄寺説法を機に入信した人々への11年振りの改めて直接教化指導の為帰郷します。その文永元年(1264)11月11日43歳に、建長5年(1253)4月28日の立教開宗時に日蓮大聖人を殺害しようとした東条景信によって、東条小松原に於いて襲撃を受け、頭を切られ、腕を折られ、弟子の鏡忍房、御信徒の工藤吉隆が殺されてしまいます。文永5年(1268)8月21日47歳、8年振りに【立正安国論】を8代執権北条時宗に再提出するのであります。この事により、文永8年(1271)侍所平左衛門尉が松葉ヶ谷草庵を襲撃し日蓮大聖人を捕縛し、鎌倉市中を幕府に逆らう者がどうなるのかを知らしめる為、引き廻し晒し者にし「神国王御書」(1525p)その後北条宣時の邸に軟禁し、「御成敗式目」に照らしての詮議も無く「種種御振舞御書」(910p~916p)人目に触れることの無い真夜中に、闇から闇に葬ろうと龍ノ口処刑場に連行し、暗殺斬首する段取りを進めるのであります。しかし、斬首しようとする瞬間に、低い弾道で火球が上空を通過し、昼間の様な明るさに晒され、平左衛門尉は、我が身と幕府への祟りではないかと恐れ、処刑は取り止めとなり、日蓮大聖人の身柄は一旦本間六郎左衛門の邸に軟禁されるのであります。日蓮を殺したい、でも殺せなかった、でも殺したいというジレンマを抱え、結論の出ない、すったもんだの首級会議が一ヶ月も続き、最終的には、佐渡の厳しい自然環境の中で、日蓮自身が衰弱し病気になり死んでくれれば、幕府への祟りは無く、幕府が手を下し、幕府が殺したという事にはならない、幕府への祟りは回避されると考え、佐渡流罪が決まるのであります。文永8年(1271)10月10日本間六郎左衛門の邸を出発し佐渡へ向かいます。その前日の文永8年(1271)10月9日初めての本尊【B】が顕わされるのであります。それまでの日蓮大聖人は、釈迦立像(一説には、伊豆伊東流罪の折りに、海中に漂っていた釈迦如来像をすくい上げ、それを本尊としたと、言い伝えられていますが、それ以前の松葉ヶ谷草庵で信心修行していた本尊を所持しないで流刑地に赴く事は有り得ないので、この説は演劇的演出話で眉唾であろうと思います。)の前に法華経28品を安置し、法華経を説いた釈尊を本尊とされていました。十界文字本尊を顕わした後も、本尊の前に釈迦立像と、法華経28品安置は変わらなかったと言い伝えられています。その為、身延日蓮系各宗各派は、現在においても、それが正統であるかの解釈で行っています。釈迦如来本仏の本尊観で良ければ、日蓮大聖人が本尊を顕わす必要は皆無なのであります。釈迦如来、法華経28品安置という本尊では、不足不備であるが故に、十界文字本尊を顕す必要不可欠な意味があったのであります。世間一般の人々は釈尊の人生、八万四千もの一切経典を説いた釈尊全体のどこをとっても尊く真実の法だと思い込み本尊としているけれど、日蓮大聖人は、
法華経を説いた釈尊のみから、
「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし」本尊問答抄(全365p)
 釈迦立像の前に法華経28品安置の本尊では、法華経の行者として生きている日蓮大聖人自身には、その根本が一切衆生悉有仏性の肝心、象徴の【南無妙法蓮華経】の法である事に、目覚めていますが、これでは一切衆生がストレートに仏性に目覚める事は出来ないのであります。身分差別、家柄差別、性差別、老若差別、貧富、教養、文盲、理解力の有無から生じる差別に左右されないで、本尊を受持安置し、誰もが平等に成仏を求め、信行に精進出来る本尊。本尊に向かえば、何の深読みも、推量も無く、真っ直ぐに南無妙法蓮華経と向き合い、南無妙法蓮華経と念じ、南無妙法蓮華経と唱え、南無妙法蓮華経の仏性をかすかでも感じ目覚め自覚する。釈迦立像の本尊では、それは不可能な事であります。機根の差違、道徳心の差違、教養の差違、理性自制心の差違、身分家柄躾の差違等々を超越して、末法万年の未来永劫の時代の一切衆生は全て一律平等に十界互具の凡夫である事を生命の本来あるがままを大前提の基軸としているのであります。何十億年の過去から未来迄、どんなに文化、文明、科学、技術等々が発展して、生活が変わっても、国、民族、言語、性別が変わっても、人間の心、一切衆生の心の営みは、十界互具の生命を基にして展開して何も変わらないのであります。
 日蓮大聖人が、出家してより、20年の遊学を経て、建長5年(1253)4月28日に悟った法華経至上の自覚【A】は、学問的、身読無しの理論的悟りであります。そこから法華経の行者として、龍ノ口処刑後の本間邸軟禁、本尊初筆の直前【Á】迄は、法華経身読の、身を以て法華経を読み、身を以て法華経至上を確認し、自ら身を以て【人】と【法】の一体化を得、身読によって【法】を悟られ、成仏の自覚をされたからこそ、本尊を顕す責任と使命を強く決断する事が出来たのであります。ここに【①法・②仏・③僧】の①番目の【法】の存在を確認するのであります。そしてこの悟りの自覚を経て、②番目に上行菩薩再誕の自覚、常不軽菩薩の跡を継ぐ、末法の一切衆生平等成仏の導師の自覚と【仏】の自覚を踏まえて、本尊の図顕が成されるのであります。しかし、龍ノ口法難で得た【人】と【法】の一体化した悟りも、この段階では、まだ日蓮大聖人のみの悟り【法】【Á】なのであります。
 三大秘法で言えば、①番目の【法】はAの【題目】であり、②番目の【仏】の自覚を基にBの【本尊】が図顕されるのであります。しかし、この【仏】自覚と【本尊】の図顕の時点における、日蓮大聖人の悟りも、日蓮大聖人のみの悟りであります。そして、本尊が顕され、弟子、信徒に順々に授与される様になって行くと、完全に順序が切り替わり、【本尊】が根本、中心となり、①番に位置し【題目】が②番に位置し、読経、唱題行、信行の大切さが、弟子、信徒に説かれ伝えられて行き、次世代を担う③番目【僧】に、この形態が流布伝承、託されて行くのであります。ここにCの【戒壇】信心修行が行われる、山、谷、曠野、如何なる場所であっても、信を立て、成仏を期す事の重要性を示されているのであります。成仏の境涯を得る信行の場所が【戒壇】でありますから【戒壇】が順序の一番に来るはずが無いし、【本尊】が【題目】より先の①番目に位置するはずが無いのであります。
 「されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし、かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり、神力品に云く『若しは林の中に於て若しは樹の下に於ても若しは僧坊に於ても乃至而般涅槃したもう』」
南条殿御返事(全1578p)
 南無妙法蓮華経の法が、一切衆生平等成仏の不思議な妙法である故に、その法を悟って、凡夫が貴き仏に成ることが出来る、その人が法華経の行者として生きる場所は、信行の場所、そのものが霊山浄土、【戒壇】であると示されているのであります。その霊山浄土【戒壇】は、山、谷、曠野と同様、林、樹下、僧坊等々場所を選ぶこと無く、法華経の行者として生きるその場が霊山浄土、【戒壇】であると示されているのであります。国立戒壇を乞い願い羨望する必要などいらないのであります。【法妙なるが故】【法】《題目》→【人貴し】【十界互具の凡夫が仏となる事が出来る】《本尊》→【所尊し】【僧】《戒壇》という成り立ち構成なのであります。
 日蓮大聖人のみの悟りから【仏】の自覚と【本尊】の図顕から、仏法の根本究極の目的である、一切衆生平等成仏の全ての生命の悟り、成仏の確証を日蓮大聖人が得たのは、熱原法難を契機として、弘安2年(1279)10月1日に示された、
「去ぬる建長五年四月二十八日に安房の国長狭の郡の内東条の郷今は郡なり、天照太神の御厨右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや今は日本第一なり、此の群の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年なり、仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なりその間の大難は各各かつしろしめせり。」聖人御難事(全1189p)
 熱原の入信まもない20人余りの小作農民に対して、幕府は、日蓮大聖人の法を信仰する者の信者狩りを企て、苅田狼藉(他人の田の稲を盗み刈り)の冤罪をかけ、熱原の地から鎌倉に連行し、土牢に入牢させます。その時点で、法難の報告を身延で受けた日蓮大聖人は、日蓮と信仰人生のまったく違う、しかも初信の、小作農民として、自分の家も土地も持てない、搾取されることが当然で、自分自身の生き方を選び判断し決定する自由と権利を貫くことが出来ない農民が、永遠常住の生命と成仏する事だけを一筋に求め願って、南無妙法蓮華経の信仰を貫こうとしている姿を伝え聞き、日蓮とまったく同じ信仰の志を抱いている事実に触れ、日蓮と同じ法華経の行者として妙法蓮華経の仏性を感得する憶持不忘の姿を確認し、日蓮のみの悟り、日蓮のみの成仏の自覚から、日蓮と熱原農民と、一体化した成仏の完成、同時に未来に渡る一切衆生平等成仏の確信を得、「余は二十七年なり」一切衆生平等成仏の法の出世の本懐の完成を宣言され、広宣流布すべき法の総てが完成したのであります。この「聖人御難事」の文を以て、大石寺は、戒壇本尊が顕わされたと主張していますが、「聖人御難事」は弘安2年(1279)10月1日付、戒壇本尊は弘安2年(1279)10月12日書写と主張し、熱原農民の3人の斬首は、弘安2年(1279)10月15日ですから、一生懸命権威付けの為に利用しようとしても、何の辻褄も合わない無様な屁理屈になっているのであります。時系列から見ても、戒壇本尊書写は、まったく関係無く作られた嘘なのであります。
《三寶》《三大秘法》を並列すると、こういう順序、構成、図式になるのであります。
  《三   寶》  【法】① → 【仏】② → 【僧】③
  《三大秘法》 【題目】A→【本尊】B→【戒壇】C
  《南条殿御返事》【法】 → 【人】 → 【所】 
 因みに法華経28品の経文中には、【妙法蓮華経】は有りますが、【南無】が付いた【南無妙法蓮華経】の語句は、一切有りません。仏の悟った法は【妙法蓮華経】であり、仏の立場からすれば、本尊は【妙法蓮華経】が、然るべき顕し方という事になります。しかし、日蓮大聖人が、本尊の御題目を【南無妙法蓮華経】と顕わしたという事は、どこまでも一切衆生平等成仏、衆生の側に立脚して、【妙法蓮華経】を【南無】【信じる】事こそ、成仏を決する根本とすべきと、されたからこそなのであります。つまり本尊は、仏の側に立って顕された存在でなく、どこまでも一切衆生平等成仏を目的主体にして衆生の側に立って【南無妙法蓮華経】と顕された当体なのであります。
 顕わされた本尊の主題は【南無妙法蓮華経】であるにもかかわらず、本尊とは何かを解析するために示された【観心本尊抄】(全247p)には、
 「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居して塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表す。」
 と、主題【南無妙法蓮華経】を【妙法蓮華経】と書かれているのであります。これは、仏の悟った【妙法蓮華経】の法と、末法の衆生の側からの信【南無】を立てる【南無妙法蓮華経】の違いを、敢えて違和感が生じる様分かり易く示されているのであります。他の御書の各所にも、敢えて【五字七字の題目】と【五字】【七字】を並列して説示されている事も、同様に【妙法蓮華経】を悟って仏に成った側と、【南無妙法蓮華経】と信心修行して成仏する、末法の衆生の側の双方を表現されているのであります。
 像法時代の天台大師智顗は日常【南無】では無く、同意味の【帰命妙法蓮華経】又は【稽首妙法蓮華経】と唱題していたとされます。これとても、【南無妙法蓮華経】と同様【妙法蓮華経】に対する信仰者(凡夫衆生)側からの、帰依、信行の大切さを、唱題という行体に示されていたという事が分かるのであります。
 日蓮正宗では、「なんみょーほーれんげーきょー」と、七文字の題目を、区切る事無く一体として唱えますが、身延日蓮系各派は、「なむ みょーほーれんげーきょー」と「なむ」を特に強調し、「なむ」と「みょーほーれんげーきょー」が別々の様に区切って読みます。いつの時代から何故こうして読む様になったのか分かりませんが、【南無妙法蓮華経】の題目は一体であり、区切って別々のものでは無いのであります。こだわっても何の意味も無いのであります。御本尊様の主題である【南無妙法蓮華経】も、区切る事無く、一字一字が重なるように一体化して顕わされているのであります。
 各宗各派の本尊である釈尊像、阿弥陀如来像、薬師如来像、観音菩薩像、地蔵菩薩像、十字架、マリア像 等々は、その各宗各派の開祖宗祖が、悟りを得なくても、これらを本尊にして帰依おすがりをしようと自分が自分の宗教的信念で本尊にしよう発想さえすれば、身読も悟りもいらないのであります。つまり、それ等の本尊にしている対境物は、自分自身の悟りから発した本尊ではないからであります。その意味でも、日蓮大聖人が顕わされた本尊は、まさしく、一切衆生平等成仏の法を、日蓮大聖人自身法華経の行者としての身読によって悟り、一切衆生に伝えるという、前代未聞、唯一無二、未曾有の本尊なのであります。
 この【題目】→【本尊】→【戒壇】によって、【本尊】が顕されると、信心修行の根本尊敬の主体は、姿形のある【本尊】中心に切り替わります。そして【題目】は、信心修行としての【唱題】の意味が強く意識されます。そして、山谷曠野、何時如何なる場所であっても、南無妙法蓮華経の法を信心修行する場所という本来の意味から、【本尊】安置の場所が、信心修行の場所【戒壇】という意味合いに変化して、姿形認識中心の考え方になって行くのでありますが、【戒壇】の意味する本来は、法華経の行者の己心に想起されるものであって、現実のインドの霊鷲山や、国立戒壇堂という姿形では無いのであります。
 ※三寶院HP芝川Web【二種類の三大秘法】を参考に御読み下さい。
 姿形にすがり付き、安心安定したいと考える凡夫の性情は理解出来ますが、【本尊】を形作っている、紙、板、彫刻技法、漆、金箔、年代等々は、諸法の一部ですが、根本となる、実相(妙法蓮華経の法)では無いのであります。日蓮大聖人の教えの成り立ちである【題目】→【本尊】→【戒壇】からかけ離れてしまって、【本尊】→【題目】→【戒壇】もしくは、国教化、国立戒壇という末法時代は逆縁広宣流布のみである事を忘却した順縁の広宣流布を理想と夢見て、【戒壇本尊】が日蓮大聖人の当体、仏法の総てであり、【戒壇本尊】が灰燼に帰する事があれば、日蓮大聖人の仏法は無くなる。【戒壇本尊】が究極の本尊で体、他の本尊は影と言いながら、一番が戒壇本尊、二番が末寺の本尊、三番が信者の家庭安置の本尊。と言う、影にさえ二番三番があるという支離滅裂な主張。【戒壇本尊】に御参りしなければ、功徳は無い、成仏も出来ない。そして、【血脈相承】絶対という、自分達の権威と、正統性、清浄性、組織防衛、組織拡大だけの為の手段化として絶対と主張しているのであります。つまり、この【戒壇本尊絶対】と、【血脈絶対】の二つが日蓮大聖人の教えの全てであり、【戒壇本尊】が消滅する事があれば、その時点で日蓮大聖人の教えは消滅する。【血脈相承】が断絶する事があれば、これ又日蓮大聖人の教えは消滅すると主張し、それが日蓮大聖人の教義であると洗脳し、この二つの広宣流布こそが広宣流布だと頑迷に言い張り、この二つを広宣流布する事を目指しているのであります。つまり、大石寺の頑迷主張は、【戒壇絶対】【血脈絶対】二つ共、大石寺は、これ又頑迷に永遠不滅だと言い張っていますが、この二つは明らかに有限な姿形物であり、凡夫から凡夫の継承なので、どういうアクシデントが有るか分からないのでありますから、絶対という事は絶対に無いのであります。大石寺の高僧が、絶対と信じることが信心だと発言していましたが、まさしく組織の権威と安泰繁栄を願っているだけで、信心などでは無いのであります。色形が無くなったら法が無くなるという主張は、日蓮大聖人が
 「但し妙法蓮華経と唱え持つというとも己心の外に法ありと思はば妙法にあらず麤法なり、麤法は今経(法華経)にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、方便権門ならば成仏の直道にあらず成仏の直道にあらざれば多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶いがたし、故に妙法と唱え蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり。」一生成仏抄(全383p)
 と破折される内容で、完全に初めから、論理論法が破綻しているのであります。この破綻の論法の上に、
 【戒壇】→【本尊】→【題目】という順序や、【戒壇本尊】→【題目】という、信心修行の場であり、成仏の境涯を感得する【戒壇】と【本尊】を、くっつけてしまい、【順縁広宣流布の暁に国立戒壇に安置する本尊】だから他の本尊と特別違う事が顕されている【本尊】なんだと人々に思わせる様に作語されているのですが、【戒壇本尊】自体に【戒壇本尊】や【究極の本尊】等の、他の本尊に比べて特別な表現は一切書き入れられていないのであります。【戒壇本尊】という表現の中の【戒壇】は、【国立戒壇堂】を見果てぬ夢としての、国家建立戒壇堂だけを示す【戒壇】であって、三大秘法の戒壇とは、同名異体で、まったく違う物なのであります。【戒壇】と【本尊】と【題目】の三大秘法は、日蓮大聖人の、法の根幹を示す三要素であって、【戒壇本尊】と合体させる事自体が、三大秘法を混乱させる論理論法の破綻を生んでいるのであります。
【題目】→【本尊】→【戒壇】の順序が、日蓮大聖人の教えの成立に順ずる、三大秘法なのであります。【戒壇】→【本尊】→【題目】の順序は、元来【法】を、一切衆生に伝える為に顕わされた【本尊】である為、信仰の対境である【本尊】の奥に【法】を想起する事が本来の信心修行であるにもかかわらず、紙幅本尊、板本尊、戒壇本尊という姿形こそが【法】であるという本末転倒の思考に陥ってしまっているのであります。これは後世大石寺が組織している僧侶自身の、自分達が生き長らえなければ、大石寺、戒壇本尊を守れないじゃないかという論法で、権威、経済を守る保身の為に編み出した都合の良い言訳論なのであります。宗祖日蓮大聖人、日興上人、日目上人の時代にはあり得なかった、日道上人、日行上人、日有上人等々の御会式奉読の申状にさえ、【戒壇本尊】等という文言は示されていないのであります。以上の事からも、明らかに後世大石寺の権威と偽りの正統性と保身御都合主義で編み出された愚劣な謗法論なのであります。
 日蓮大聖人が、法華経の行者として生きぬかれた生涯の中で、
【題目】→【本尊】→【戒壇】の順序で表わされた三大秘法を、私達凡夫が十界互具の生命のあるがままに、一切衆生の仏性に目覚め、一切衆生平等成仏を願い、末法万年の時代における、常不軽菩薩の信行の振る舞い《我深く汝等を敬う、敢えて軽慢せず、所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと。》を手本として、この様に生きる志が、仏そのものなのであります。信心修行に励む事こそが一番に大切なのであり、成仏の姿なのであります。
 どんなに短命であっても、長命であっても、事故、病気、不治の病、身体に障害を持って生まれ、不自由であっても、生まれてきて良かった、生きて来て良かったと、歓び、感謝、報恩の心をエネルギーにして生きる事、全ての生命に具わる南無妙法蓮華経の仏の生命に目覚める事こそ最も尊いのであります。世界で起きている、憎しみ、恨み、復讐、差別、搾取、軽蔑等々を正当化し、エネルギーにして、戦争を起こし殺戮破壊を正当化する事は、全ての生命が平等であり、全ての生命に仏性が具わり、全ての生命が繋がっているからこそ全ての生命が存在していると、全ての生命を尊敬するという、成仏と真逆の、愚かで罪深く、全ての生命の繋がりによって、支え支えられ合って生きている縁を自ら断ち切り否定し自分の感情を振り回し、振り回されて自分を見失い、何の為に生まれて来たのか考えることも知ることも無い、「不聞三寶名」の、生命の無駄使いになってしまっているのであります。
        2024/07/8